クラスオブ23
「FIFA 23」で新登場
GERD MÜLLER
素晴らしいストライカーのGerd Müllerは、ゴール前での驚異的な記録を残したことにより、アイコン選手のステータスを獲得しました。ドイツ出身のこのストライカーは、ブンデスリーガの記録保持者です。キャリア最多得点、最多ハットトリック、得点王、シーズン最多ゴールと、数え切れないほどの記録を樹立しました。国際試合でもその活躍には枚挙にいとまがありません。西ドイツ代表時はわずか62試合で68ゴールを決め、メキシコ開催のFIFA World Cup 1970™では、10ゴールを決めて得点王に輝きました。その4年後には、ミュンヘンのホームスタジアムで決勝ゴールを決め、FIFA World Cup™の歴代得点記録者になります。2006年にRonaldo Nazárioがこの記録を塗り替えるまで、32年間もこの輝かしい記録を保持し続けました。Müllerの偉業や伝説は、これまでほんの一握りの選手しか肉薄できなかったものとして、今もなお語り継がれています。
XABI ALONSO
エレガントなミッドフィルダーと言えば、Xabi Alonsoをおいて他にはいないでしょう。このスペイン出身のマエストロの特徴とも呼べる卓越したテクニックと状況判断は、中盤の底から的確なロングパスを通し、アタッカーのゴールを演出しました。ハーフライン後ろからキーパーの頭上を抜くゴールを幾度となく決めていたのも、この才能のなせるわざでしょう。Alonsoはヨーロッパのビッグチームの中盤にはなくてはならないチームの心臓として活躍し、それに相応しい栄光も掴んできました。リバプールでは、伝説の2005 UEFA Champions League決勝で同点ゴールを決めて勝利を引き寄せ、レアル・マドリードでも優勝を果たしました。また、FAカップ、コパ・デル・レイで2回、ラ・リーガ、ブンデスリーガで3回、そしてスペインに初のFIFA World Cup™トロフィーをもたらす上で決定的な役割を担ったのは言うまでもありません。まさにアイコン選手に相応しい活躍です。
JAIRZINHO
FIFA World Cup 1970™のブラジル代表は、ピッチに立った史上最高の代表チームのひとつとして広く知られています。その大会でJairzinhoはグループステージから決勝まで、FIFA World Cup™の全試合でゴールを決めるという前人未踏の偉業を成し遂げ、ブラジルに3度目となる、当時ジュール・リメ・カップと呼ばれていた優勝トロフィーをもたらしました。ハリケーンという愛称で呼ばれていたJairzinhoは、その名の通り、サイドからのスピードのある仕掛けに加え、相手を圧倒するパワーとドリブルを兼ね備えたストライカーで、ディフェンダーを易々と抜き去って狙いすましたシュートを放つため、ゴールキーパーは成す術がありませんでした。Jairzinhoがアイコン選手として相応しいことを証明するのは、1970年のチェコスロバキア戦で2点目を決めたシーンです。パワーとスピードを活かしたドリブルで3人のディフェンダーを抜き去り、ゴールの下隅に正確無比なシュートを沈めました。優れたウィンガーとして知られるJairzinhoは、間違いなくブラジル代表史上屈指の選手です。
アタッカー
ROBERTO BAGGIO
万能型で創造性に溢れ、Il Divin Cotino(偉大なるポニーテール)と呼ばれたこのイタリア人選手は、ビッグタイトルにこそ縁がなかったものの、代表チームをFIFA World Cup™の3大会に渡って牽引し、数々の賞を獲得しました。このミッドフィルダーは、イタリアのさまざまなトップクラブで才能を発揮し、どこでプレイしようと、相手がどこであろうと、ピッチ上で何度も最高の輝きを放ちました。Baggioには普通の選手なら気づかないスペースやパスコースを見つける天性の感覚があり、彼のカーブをかけたフリーキックは、今でもサッカー史に残る名場面としてハイライト映像で見ることができます。
DENNIS BERGKAMP
アヤックスのアカデミー、後にはトップチームで、同じくアイコン選手であるJohan Cruyffにトータルフットボールを叩き込まれたBergkampは、ほぼ全てのポジションでプレイを経験しました。これは、このオランダ人が個人としてだけでなくチームプレイヤーとしても優れていたことを意味し、所属クラブや代表の攻撃の要を務め、ストライカーや別のストライカーを後ろから支える「10番」として活躍しました。
GEORGE BEST
史上最高の選手にも数えられる北アイルランド出身のBestは、現役時代に比類なきスーパースターであり続けました。Bestは、スピード、テクニック、ボールバランスを兼ね備えた史上屈指の天才ドリブラーで、ディフェンダーは予測不能な動きに苦しみました。
EMILIO BUTRAGUEÑO
Butragueñoは、1980年代後半から1990年代前半にかけてスペイン1部リーグを支配していたレアル・マドリードの中心選手で、現在もクラブ史上屈指のストライカーとして名を残しています。
ERIC CANTONA
王様からアイコンへ。Eric Cantonaはピッチに足を踏み入れるたび歴史を作り出す選手でした。スタイリッシュで、したたか、そして型破りな才能と激しいプレイスタイル。彼の試合への臨み方はイングランドで唯一無二でした。プレミアリーグを4回、FAカップを2回制覇し、他にも輝かしい結果を多数残しました。決めたゴールは73にも上ります。彼の偉大さは今だマンチェスターで色あせることがありません。キング・エリックに敬意が払われます。
HERNÁN CRESPO
Crespoは点取り屋として複数のクラブとアルゼンチン代表で活躍し、世代最高のストライカーの地位を確立しました。ディフェンダーのミスを突き、自らの足でボールを持ち込むなど、不可能に思えるような状況においても、Crespoはあらゆる方法でゴールを量産しました。
JOHAN CRUYFF
このオランダのプレイメーカーは、クラブでも代表でも素晴らしい実績を残しました。アヤックス、バルセロナ、オランダ代表で、数々の大きなタイトルを獲得しています。卓越したテクニックと創造性で知られるCruyffは、ゲームでも屈指の人気を誇るスキルムーブ、クライフターンを生み出した選手です。彼のスタイルはオランダが誇る「トータルフットボール」の象徴となりました。選手としてもコーチとしても、トータルフットボールの草分けとなり、完成させたと言えるでしょう。
KENNY DALGLISH
リバプールとセルティックの両クラブで史上最高の選手の一人と考えられているKenny Dalglisは、リバプールの一員としてイングランド、そしてヨーロッパを舞台に圧倒的な力を披露しました。レッズで過ごした13年間のうちに、キング・ケニーはリーグタイトルを8つ、ヨーロピアン・カップのトロフィーを3個、そしてカップ戦のトロフィーを数え切れないほど獲得しました。彼はアンフィールドでレジェンドの地位を築きつつあります。
ALESSANDRO DEL PIERO
イタリア史上屈指の選手と呼ばれるAlessandro Del Pieroは、完璧なテクニック、圧倒的な決定力、正確なフリーキックで、世界中のサッカーファンを20年以上も魅了してきました。2006年のFIFA World Cup™を手にしたDel Pieroは、あらゆる大会でゴールを決めた、大量得点を決めるスコアラーとして記憶されるでしょう。
DIDIER DROGBA
コートジボワール出身のDidier Drogbaは2003/04シーズンにマルセイユで大躍進を遂げました。屈強なフィジカルに驚異の得点能力を兼ね備えたDrogbaは、55試合に出場し32ゴールを挙げ、リーグ・アン年間最優秀選手賞を受賞します。チェルシーに移籍したのは2004年のことです。4回のプレミアリーグ制覇、4回のFAカップ制覇、3回のリーグカップ制覇にゴールで貢献しました。決勝で試合を決定づけるPKを蹴り、チェルシーに初めてのUEFA Champions LeagueのトロフィーもたらしたDrogbaは、ブルーズのアイコンとしての地位を築いています。
SAMUEL ETO’O
史上最高のアフリカ出身選手の一人であると広く考えられているSamuel Eto’oは、圧倒的な力を持つ選手でした。決定的なフィニッシュ、スピード、トリック、そしてインテリジェンスを武器にEto’oはその名を知らしめます。彼はチームをUEFA Champions Leagueの栄光に3度導き、そのうち2度の決勝でゴールを決めてみせました。ピッチ上で鋭いシュートを放つ一方で人間味にあふれたEtoは、ストライカーという枠を超えた選手でした。クリエイターであり、ファシリテーターであり、そしてリーダー。本当の意味でのアイコン選手です。
EUSÉBIO
かなり昔の時代のレジェンドとなるポルトガルのストライカー、Eusébio da Silva Ferreira(通称Eusébio)は、ポルトガル代表が強豪ではなかった時代に、クラブと代表で圧倒的な活躍を見せました。代表キャリアの中でポルトガルがWorld Cup™に出場したのは一度だけでしたが、彼はその大会でポルトガルを3位に導きました。さらに1962年のEuropean Cup(現在のUEFA Champions League)決勝では、ベンフィカの選手として2ゴールを決め、レアル・マドリードに5-3で勝利して世界を驚かせました。
GARRINCHA
1953年にボタフォゴに加入したGarrinchaは、デビュー戦でボンスセッソを相手にハットトリックを決めてすぐさまその名を轟かせました。優雅なドリブルテクニックが高く評価されてヨーロッパのビッグクラブから数々のオファーが届くも、Garrinchaは拒否し続けてボタフォゴで13シーズンを過ごします。また、1958年と1962年にはブラジル代表としてFIFA World Cups™優勝に大きく貢献し、2連覇を達成しました。驚くことに、ブラジルはGarrinchaと、同じくアイコン選手であるPeleが出場した試合で負けたことがありません。
THIERRY HENRY
プレミアリーグ史上最高のストライカーの一人、Henryはエレガントでありながら確実に仕留める持ち前の決定力を武器に、ノース・ロンドンで過ごした8年間の間にプレミアリーグ得点王に4度輝きました。自国開催された1998年のFIFA World Cup™では優勝を果たし、国際試合123試合で51ゴールを記録したフランスを代表するトップスコアラーです。
LUIS HERNÁNDEZ
メキシコ、アルゼンチン、アメリカの様々なクラブで活躍したHernándezですが、彼が最も輝きを放ったのは代表戦でしょう。「エル・マタドール」と呼ばれたHernándezは、World Cup™でのメキシコ人最多得点記録を保持しており、1998年のフランス大会では4ゴールを挙げました。
MIROSLAV KLOSE
欧州の様々なクラブで活躍したKloseですが、より印象に残っているのは得点を量産したドイツ代表での活躍でしょう。Kloseは、ドイツ代表として4度のWorld Cup™を経験し、2014年には悲願の優勝を成し遂げました。この細身のストライカーは、ドイツ代表において歴代2位の出場試合数を記録し、通算最多得点記録を達成した2014年に引退しました。
PATRICK KLUIVERT
オランダのKluivertは、典型的なフォワードとしての能力だけでなく、高さと強さを兼ね備えた身体能力に、繊細なタッチと類まれなスピードを示して、世界にその名を轟かせました。クラブでは象徴的な選手であるRivaldoと完璧な相性を見せ、当時世界で最も恐れられるツートップとして君臨しました。
HENRIK LARSSON
セルティック史上最高のストライカーとして記憶されるスウェーデンの点取り屋、Larssonは、ほとんどすべてのクラブで優れた能力を示しました。スピード、視野、インテリジェンス、落ち着きなど、すべてを兼ね備えたオールラウンダーとして、ワールドクラスの得点力を発揮しました。
GARY LINEKER
イングランドとスペインの両方のクラブで得点を量産したLinekarですが、この狡猾なストライカーが最も輝きを放ったのはスリー・ライオンズとも呼ばれるイングランド代表でしょう。Linekarは、FIFA World Cup™で得点王に輝いた最初のイングランド人であるだけでなく、1986年と1990年大会で計10ゴールを挙げ、同国のFIFA World Cup™通算最多得点記録を今もなお保持しています。
LUÍS FIGO
スペインの2大ビッグクラブ間での禁断の移籍で騒動を巻き起こしたこのポルトガル人ウインガーですが、スペインでキャリアを全うし、リーグ史上でも屈指の外国人選手として活躍しました。Figoは俊敏な動きとワールドクラスのドリブルでサイドを制し、美しいクロスをチームメイトへ送って、クラブでも代表でもアシストを量産しました。
MICHAEL OWEN
イングランド史上でも屈指のゴールを量産するスコアラーとして、Michael Owenがスターになったのは、まだとても若かった1998年のWorld Cup™でした。圧倒的なスピード、インテリジェントな動き、正確なパス、圧倒的な決定力により、Owenはゴールを決め続けるマシンと化したのです。
PELÉ
ブラジル代表でRonaldo Nazárioよりも唯一ゴール数が多いPeléは、サッカー史上最も偉大な選手の1人と言って過言ではありません。ブラジル国内選手権で6回、World Cup™で3回優勝したほか、21年間に及ぶキャリアにおいてリーグ戦で600以上のゴールを記録して、史上最高のレジェンド選手の1人とみなされています。
FERENC PUSKÁS
フットボールの歴史上、Ferenc Puskásほどの確固たる地位を築いた選手はほとんどいません。レアル・マドリードの信じられない系譜においてもです。史上最高のフォワードの一人であると広く考えられているPuskásは、マドリードをヨーロピアンカップ制覇に3度導きます。ドリブルや動き、タイミングの良さを武器に、レアル・マドリードの黄金期を築き上げました。さらに、ハンガリーをFIFA World Cup™決勝に導き、母国のために85試合で84ゴールを挙げました。毎年、最も素晴らしいゴールを決めた選手にはFIFAプスカシュ賞が贈られています。その由来となった選手が、どのようなゴールを決めていたのかは想像に難くありません。
RAÚL
マドリード出身のRaúl Gonzalez Blanco(通称Raúl)は、わずか17歳でレアル・マドリードのトップチームに昇格し、クラブ史上最年少の出場選手となりました。このスペイン人ストライカーはレアル・マドリードで数々の栄光を手にし、ラ・リーガ優勝6回のほか、UEFA Champions Leagueでも見事に3回の優勝を果たしています。Cristiano Ronaldoに破られるまで、Raúlはレアル・マドリード史上最多得点を記録した選手でもありました。
RIVALDO
ブラジル出身のこの選手は、優れたテクニックで様々な役割をこなしました。クラブでも代表でも攻撃の中心となったのはそのためです。スペイン時代には止めようのない攻撃で相手の脅威となりました。1998-99シーズンには24ゴールを決めてラ・リーガの得点王となり、クラブを連覇に導きました。1999年、RivaldoはバロンドールとFIFA年間最優秀選手をダブル受賞しています。代表でも長年活躍し、1998年にはブラジルをFIFA World Cup™準優勝に、2002年には優勝に導きました。
RONALDINHO
サッカー界最後の自由奔放な選手の1人、Ronaldinhoは美しいサッカーとは何かを体現しています。無限の創造性と圧倒的なテクニックを誇るこのブラジル出身の攻撃的ミッドフィルダーは、美しいゴールを決めることにも、完璧なパスでチームメイトを輝かせることにも長けています。Ronaldinhoは世界最高のトロフィーを、美しく、笑顔を湛えながらのプレイで手にしました。
RONALDO
爆発的なスピード、決定的なフィニッシュ、見事なスキルを兼ね備えた、世界で最も恐れられていたブラジルの伝説的なストライカー。バロンドールに2度輝いたRonaldo Nazárioは、レアル・マドリードに移籍して銀河系軍団の一員になりました。
WAYNE ROONEY
少年時代に所属していたクラブで10代にしてブレイクを果たし、イングランドのスーパースターとして世界を驚かせました。その抜きんでた才能により、彼はイングランドで最も歴史あるクラブの一つでプレイし、UEFA Champions Leagueのデビュー戦ではハットトリックを決めてみせました。Rooneyは、どんなゴールも決めてしまう正真正銘のゴールスコアラーです。同時にワールドクラスのプレイメーカー・チームプレイヤーでもあり、必要な時にそこにいてくれる選手でした。Rooneyはプレミアリーグを5回、リーグカップを3回、そしてFAカップ、UEFA Champions League、UEFA Europa League、FIFA Club World Cup™をそれぞれ1回制覇しています。彼は、クラブとイングランドの歴代得点王としてキャリアを終えました。どんな時代でもアイコンになれたはずです。
IAN RUSH
アンフィールドでのキャリアは比較的遅く始まりましたが、ウェールズ出身のIan Rushは2年目のシーズンに30ゴールを挙げる活躍を見せました。その後コンスタントにゴールを量産し続けます。1983/84シーズンには、持ち前の決定力で得点王に輝き1部とヨーロッパのゴールデンブーツ賞を受賞しました。リバプールの一員として、リーグタイトルを5つ、FAカップのトロフィーを3個、そしてChampions Leagueのトロフィーを獲得しました。
HUGO SÁNCHEZ
1977年、歯学を学びながらUNAMで名を上げたHugo Sanchezは、19歳の誕生日を迎える数日前に初めてリーグ制覇を果たしました。母国メキシコで5シーズンを過ごしたSanchezは、アトレティコ・マドリードで4シーズンを過ごしたあとライバルのレアルに移籍を果たします。ストライカーとして200以上ものゴールを挙げ、ロス・ブランコスの5シーズン連続となるラ・リーガ制覇に貢献しました。ほかにも、クラブにカップ戦のトロフィーを3個、UEFAカップのトロフィーを1個もたらしました。その後クラブ・アメリカに移籍し、活躍の舞台をメキシコに戻すことになります。
ALAN SHEARER
イングランド人ストライカーの典型だったShearerは、ペナルティエリア内で大きな存在感を放ち、相手ディフェンスを押しのけ、ネットにボールを叩き込みました。Shearerは、ブラックバーン・ローバーズとニューカッスル・ユナイテッドの14シーズンで計260ゴールを挙げました。この記録はプレミアリーグの通算得点記録として、現在も破られていません。
ANDRIY SHEVCHENKO
ウクライナ史上最高のストライカーは、ディナモ・キエフ、ミラン、チェルシーでゴールを量産し、華々しいキャリアを築きました。Shevchenkoのテクニックと、両足や頭での得点能力は、イタリアと欧州のディフェンダーを震撼させました。
HRISTO STOICHKOV
ブルガリア史上最高の選手であるStoichkovは、同国唯一のバロンドール受賞者(1994年)であり、ラ・リーガで輝かしい数シーズンを送りました。Johan Cruyffの「ドリームチーム」の一員としてStoichkovはゴールを量産し、チームを4度のラ・リーガ制覇とUEFA Champions League制覇に導きました。
DAVOR ŠUKER
クロアチアからは数多くのスター選手が誕生しています。中でも象徴的な選手はDavor Šukerです。セビージャでその名を知らしめた後、レアル・マドリードへと移籍を果たし、世代を代表するストライカーとしての地位を確立します。1997-1998シーズンには、ロス・ブランコスをリーグとUEFA Champions Leagueの2冠達成に導きました。さらに、Šukerは1998年のFIFA World Cup™でクロアチアを準決勝に導き、7試合で6ゴールを決めてゴールデンブーツ賞を受賞しました。彼の挙げた45ゴールは、クロアチアの歴代最多得点となっています。Šukerはまさにクロアチアの誇りです。
FERNANDO TORRES
Fernando Torresは、世代を代表する最も恐ろしいストライカーの一人です。彗星の如くアトレティコ・マドリードに現れ、214試合で82ゴールを記録したエル・ニーニョはリバプールで全盛期を迎えます。強さ、スキル、嗅覚を兼ね備えたTorresは、クラブと代表でディフェンダーを圧倒しました。2度のUEFA European Championship決勝でゴールを決め、UEFA Champions Leagueでは決定的なゴールを決めてチェルシーを優勝に導きました。Torresはここぞという時に活躍する、世代を代表するストライカーでした。
DAVID TREZEGUET
このフランス人ストライカーは、その20年のキャリアを通して常に脅威であり続け、10年間所属したイタリアのクラブで特に印象的な活躍を見せました。TrezeguetはセリエAのクラブと、母国フランスのモナコで複数のタイトルを獲得し、フランス代表としても1998年にWorld Cup™を制しています。彼のストライカーとしての素質は幅広くまた多彩でもありました。Trezeguetは足でも頭でも得点に繋げられ、いつの間にか現れたかと思うとルーズボールをネットに叩き込む能力は伝説的なものでした。
MARCO VAN BASTEN
アヤックスとミランで活躍したこのストライカーは、怪我により比較的短い現役生活だったにも関わらず、サッカー史上有数の選手に数えられています。クラブと代表で数多くの栄誉を勝ち取り、バロンドールを3度受賞したVan Bastenは、驚異的な得点能力とアクロバティックなスキルで、不可能とも思えるゴールを量産した選手として知られています。
RUUD VAN NISTELROOY
伝統的なフォワードの完成形だったvan Nistelrooyは、この世代屈指の得点能力を有するストライカーです。プレミアリーグでもラ・リーガでも、チームに数多くのゴールをもたらしました。このオランダ人は体格に恵まれていただけでなく、圧倒的なスピードでオフサイドトラップを破り、マーカーを引き離せるストライカーでした。
ROBIN VAN PERSIE
Robin Van Persieはその長いキャリアにおいて、信じられないゴールを決めてしまうほどの洗練されたテクニックを兼ね備えた9番として世界から知られていました。Van Persieのキャリアはフェイエノールトから始まり、わずか18歳にしてUEFA Cup優勝を果たしました。そして活躍の場をノース・ロンドンに移し、同じくアイコンであるThierry Henryとともに絶大な力を発揮しました。チャールトン戦で決めたプレミアリーグの名ゴールによって、彼は脚光を浴びました。そして、ノース・ロンドンで過ごした最後の2年間で、van Persieは自ら思い描いていた選手になってみせます。2010-2011シーズンには、キャリア最高の18ゴールを決めてみせました。そして次のシーズン、彼は38試合で30ゴールと類を見ない記録を残しました。その後、マンチェスターに移籍すると、Van Persieは劇的な形でプレミアリーグのタイトルを獲得します。そしてオランダ代表で得点王としてキャリアを終えたVan Persieは、その伝説を確固たるものとしたのでした。
CHRISTIAN VIERI
イタリアのストライカー、Vieriは18年のキャリアで12にも及ぶヨーロッパのクラブで活躍を見せ、ほぼ全てのクラブでゴールを挙げました。かつて史上最高額を記録したVieriは、イタリア人サッカー選手賞を二度受賞しました。また、FIFA World Cup™で9ゴールを挙げ、イタリアの同大会の最多得点記録に並んでいます。
IAN WRIGHT
Ian Wrightは比較的遅咲きのサッカー選手です。しかし、その勢いは止まらずクリスタル・パレスとアーセナルで得点を量産し続けました。アーセナルでのデビューを果たしたシーズンには、29ゴールを挙げてゴールデンブーツ賞を受賞しています。1998年、Ian Wrightは得点を決め続けてガナーズをリーグ戦とカップ戦の二冠に導き、クラブのアイコンとしての地位を築きました。
GIANFRANCO ZOLA
テクニックとスキルを兼ね備えたZolaは、行く先々でサポーターから愛された選手です。攻撃的なプレイスタイルと、ゴール前で魅せる鮮やかなシュートが観客を魅了しました。チェルシー史上最高の選手に選出されたこともあるほど、その貢献は偉大なものでした。
ミッドフィルダー
MICHAEL BALLACK
ピッチ上での力強く闘争心溢れるプレイが印象的だったドイツ人ミッドフィルダーのBallackは、完成されたオールラウンダーとして、クラブと代表チームで華々しいキャリアを築きました。優れた身体能力とアグレッシブなスタイルで強烈なシュートを放ち、キャリアの中で決めたロングシュートは数えきれないほどです。また、サッカーIQも高かったBallackは、中盤からピッチを俯瞰で見渡し、試合の流れやリズムを作れる存在でした。
JOHN BARNES
スピードとトリックを兼ね備えたJohn Barnesは、ワトフォードをリーグ2位とFAカップ準優勝に導いたあとリバプールに移籍を果たしました。Barnesはアンフィールドで相手ディフェンダーを圧倒し続け、クラブにリーグタイトルを2つ、そしてFAカップのトロフィーを2個もたらしました。1988-89シーズンにはその素晴らしい活躍が評価され、PFA年間最優秀選手賞とFWA年間最優秀選手賞を受賞しています。
DAVID BECKHAM
元イングランド代表にして、6回のプレミアリーグ制覇とUEFA Champions League優勝を成し遂げ、レアル・マドリードではアイコン選手Zidaneなどの同世代のビッグスターと肩を並べてラ・リーガ優勝を飾ったBeckhamの偉大さは、決して偶然の産物ではありません。その圧倒的なテクニックと正確無比なセットプレーで知られるBeckhamは、キャリアを通じてサッカー界の草分け的存在となり、MLS、セリエA、そしてリーグ1で17の栄冠を手にし、イングランド代表として115キャップの記録を達成しました。Beckhamのような曲線を描ける選手は他にはいません。
MICHAËL ESSIEN
ダイナミックなプレイスタイルを持つ、このミッドフィルダーにつけられたあだ名はバイソン。Michaël Essienはリーグ1でキャリアを開始し、2005年にクラブ史上最高額でチェルシーに移籍しました。ガーナ出身のEssienはスタンフォード・ブリッジで9年を過ごします。その間、数々の貴重なゴールを挙げてクラブにプレミアリーグタイトルを2つ、カップ戦のトロフィーを6個、そしてUEFA Champions Leagueのトロフィーを1個もたらしました。その後ヨーロッパのビッグクラブ、レアル・マドリードやACミランに活躍の場を移すことになります。
GENNARO GATTUSO
この闘争心と情熱溢れるミッドフィルダーは、強烈なタックルと無尽蔵のスタミナ、試合の流れを読んで素早く対処する能力が特徴的でした。Gattusoは、2000年代のミランの成功に欠かせない選手であり、2006年のWorld Cup™ではイタリア代表の中心選手として優勝に貢献しました。
STEVEN GERRARD
おそらくリバプール史上最も重要な選手である地元出身のGerrardは、トップチームに入るまでクラブのアカデミーで育ち、長年に渡ってクラブで活躍を見せました。Gerrardの実績とハイライトを列挙すると切りがありませんが、2005年のChampions League決勝が最も印象的な試合と言えるでしょう。ACミランに0-3とリードされた後、彼はサッカー史上に残る逆転勝利を演出しました。
RUUD GULLIT
様々な役割を完璧にこなすダイナミックな選手として、Ruud Gullitは複数の攻撃的ポジションで見事にプレイする能力を備えていました。伝説的なACミランとオランダ代表の中心選手として、Gullitは確かな力を示し、今もファンから人気があります。
GHEORGHE HAGI
ルーマニア最高のサッカー選手、世界有数のミッドフィルダーとして活躍したHagiは、創造性に溢れ、予測不能なプレイを披露しました。Hagiは、戦術的インテリジェンスと寸分違わぬパス、相手を混乱に陥れるドリブルを駆使し、中盤のどこからでもプレイメイクができる完璧な「10番」でした。
XAVI HERNÁNDEZ
Xavi Hernándezは誰もが知るミッドフィルダーの一人です。一人で、もしくはドブレ・ピボーテとして、ゲームスピードを自由にコントロールできるXaviの能力は、決して忘れることのできない数々の栄光が物語っています。中盤を支配し、攻撃のチャンスを次々と作り出す彼は、ミッドフィルダーのあるべき姿を体現しています。彼のプレイスタイルを分析しようと様々な試みが行われてきましたが、いまだに真似できる者は現れていません。パペット・マスターであるXaviのように、自在に試合をコントロールできる選手は数えるほどです。
KAKÁ
エレガントな攻撃的ミッドフィルダーとして、ドリブルとパスの才能の片鱗を見せていたKaká。そんなブラジルの至宝をめぐる争奪戦を制したのはイタリアの名門ミランでした。ヨーロッパに活躍の舞台を移したKakáは、セリエAのタイトルにChampions Leagueのトロフィー、さらにはバロンドールを獲得し、ミランで最高の6シーズンを送ります。その後レアル・マドリードに移籍を果たし、2011-12シーズンには9アシストの活躍を見せ、ロス・ブランコスの勝ち点100の壁を破る偉業達成に大きく貢献しました。
ROY KEANE
マンチェスター・ユナイテッドの中心選手として、Roy Keaneは10年にもわたってプレミア・リーグで圧倒的な強さを見せ続けました。中盤で見せる、粘り強くて献身的なプレイが彼の真骨頂です。攻撃的なKeaneのタックルは、多くのプレイヤーを恐れさせました。
FRANK LAMPARD
ウェストハム・ユナイテッドでキャリアをスタートしたのち、ロンドン出身のミッドフィルダーであるLampardはチェルシーに13年在籍し、429試合に出場してクラブのレジェンドとなりました。攻守両面に活躍したLampardは、タックルとディフェンスに優れるだけでなく、チャンスを作って自らゴールを奪うこともできました。Lampardはチェルシー時代に数々のタイトルを獲得し、3回のプレミアリーグ制覇に加え、UEFA Champions League優勝も果たしています。
MICHAEL LAUDRUP
デンマークのプレイメーカーであるLaudrupは世界有数のクラブを渡り歩き、ラ・リーガでは、Johan Cruyffの「ドリームチーム」の一員として活躍しました。サッカー史上屈指のパサーに数えられるLaudrupですが、フェイントや足技を駆使した非凡なドリブルも伝説として語り継がれています。
JARI LITMANEN
アヤックスのChampions League優勝(1995年)メンバーの一員であるLitmanenは、フィンランド史上最高のサッカー選手として多くの人々に記憶されています。この創造性溢れるプレイメーカーは、21年間に渡ってフィンランド代表を務めました。出場試合数と得点記録は、現在も破られていません。
CLAUDE MAKÉLÉLÉ
史上最高とは言わないまでも、世代最高の守備的ミッドフィルダーと評価する人が多い選手です。このフランス代表選手は、レアル・マドリードの一員としてラ・リーガで活躍しました。しかし、Makéléléがトップクラスの評価を固めたのは、チェルシーに加入してイングランド・プレミアリーグでプレイした後でしょう。彼のマンマーク能力とゲームを読む力は革新的なもので、以降全ての守備的ミッドフィルダーがMakéléléを基準にして語られています。
LOTHAR MATTHÄUS
Matthäusはドイツ代表のキャプテンとしてWorld Cup™を制し、柔軟で多彩な技術によって、ミッドフィルダーの定義を変化させました。チームメイトへのピンポイントパスにも、ペナルティエリアの周辺で相手からボールを奪うタックルにも長けたMatthäusは、攻防に活躍するミッドフィルダーの理想形だったのです。
PAVEL NEDVĚD
ワールドクラスの才能を示し続けたNedvedは、チェコ史上屈指の選手として多くの人々に記憶されています。サイドからのクロスと中盤からの鋭いパスで、クラブや代表チームに多くのゴールをもたらしました。
EMMANUEL PETIT
世界有数のクラブで守備的ミッドフィルダーとして活躍したPetitは、プレイした全てのクラブでピッチ中央に力強い連携を生み出しました。相手の攻撃をディフェンダーの手前で遮断する能力は、1試合を除いて全試合に出場した1998年のWorld Cup™でも大きな役割を果たし、フランス代表の優勝に貢献しました。
ROBERT PIRÈS
「インビンシブルズ」と呼ばれたアーセナルの中心選手だったPirèsは、多才なアタッカーとして主に左ウイングで活躍しました。クラブレベルで様々な栄誉を獲得したPirèsは、自国開催となった1998年のFIFA World Cup™で、フランス代表の優勝にも貢献しました。
ANDREA PIRLO
Pirloは素晴らしい視野とパススキルを兼ね備えた、エレガントなレジスタです。2003年と2007年に、代えのきかない選手としてACミランの中盤を支配してUEFA Champions Leagueを制しました。Pirloはリーグだけでなく国際舞台でも輝きを放ち、2006 FIFA World Cup™の決勝戦でマンオブザマッチに輝く活躍を見せ、イタリアを優勝に導きました。Pirloは4シーズン連続でセリエAを制覇したあと活躍の舞台をMLSに移し、そこでキャリアを終えました。
FRANK RIJKAARD
強烈なタックルが持ち味の守備的ミッドフィルダーとして知られるRijkaardですが、必要に応じてほぼ全てのポジションをこなせる、万能型の選手でした。このオランダ人の最大の長所は、そのタックルと視野の広さでしたが、攻撃的なポジションを務める場合は、狡猾な創造性や鋭いパスを披露しました。その柔軟性によって、クラブ、代表で数多くの栄誉を獲得しました。
JUAN ROMÁN RIQUELME
アルゼンチンの伝説的なプレイメーカー、Riquelmeは、その持ち前のパスセンスにより、時代を代表する攻撃的ミッドフィルダーとして名を上げることに成功しました。ボカ・ジュニアーズのレジェンドであるRiquelmeは、クラブにCONMEBOL Libertadoresのタイトルを二度もたらしたのちに活躍の舞台をヨーロッパへと移すことになります。2005年にはビジャレアルでの活躍が評価され、FIFA最優秀選手賞にノミネートされました。ボカへの復帰を果たしたあとは守備的な役割を担いながらも、CONMEBOL Libertadores 2007 決勝の2つのレグで合計3ゴールを記録。チームに6個目となるLibertadoresのタイトルをもたらし、大会のMVPに選出されました。
RUI COSTA
中盤でゲームを指揮するようにプレイするRui Costaは、「エル・マエストロ」と呼ばれ、理想的な「10番」として前線の選手を操り、ピッチ上のどこからでもレーザービームのように鋭いパスを送ることができました。このポルトガルのレジェンドは献身的なプレイが特徴で、自分でシュートを打つより信じられないようなパスをチームメイトに送ることを好みましたが、実際には決定力にも優れており、ここぞという場面では印象的なゴールも挙げています。
PAUL SCHOLES
Scholesは、生涯1クラブを貫いた数少ない選手であり、20年に渡ってマンチェスター・ユナイテッドの中盤に君臨し、クラブが最も輝いていた時代を担いました。その多彩な能力で、単なるミッドフィルダーとしての役割を越えた活躍を見せ、他の選手たちの入れ替わりに合わせて、様々なポジションを務めました。
BASTIAN SCHWEINSTEIGER
堅守性、テクニック、スキルを兼ね備え、ドイツ黄金期の欠かせない歯車として活躍したSchweinsteigerはドイツの理想のフィルダー像を築き上げました。当初はウインガーとしてプレイしていましたが、後に中盤を任されるようになります。そのクリエイティビティとエネルギーを武器に、ブンデスリーガを8度制覇し、UEFAChampionsLeagueのトロフィーも掲げました。さらに、2014年のFIFA World Cup™ではドイツを優勝に導いています。
CLARENCE SEEDORF
UEFA Champions Leagueの真のスーパースターでオランダ代表のSeedorfは、世界最高峰のクラブ大会を3つの異なるクラブで制した唯一の選手です。1995年はアヤックス、1998年はレアル・マドリード、2003年と2007年はACミランで優勝を果たしました。Seedorfは万能型のミッドフィルダーで、キャリアを通して様々な役割を求められましたが、ファイナルサードでボールを持った時に最も真価を発揮しました。フットワークでディフェンスを突破することも、決定的なパスをチームメイトに供給することもできたのです。
SÓCRATES
このブラジル人プレイメーカーは、テクニックに秀でた天才で、慎重かつ思慮に富んだパスと視野によって、数多くの試合を演出しました。Sócratesは意図的に試合を落ち着かせ、相手やチームメイトを自分のペースに引き込む能力に長けていました。クラブレベルでも華々しい活躍を見せましたが、World Cup™とCopa Americaにそれぞれ2度出場し、ブラジル代表として素晴らしい実績を残しています。
JUAN SEBASTIÁN VERÓN
この才能豊かなアルゼンチン人プレイメーカーは、クリエイティブなパスセンスと戦術的視野でイングランド、イタリア、アルゼンチンのクラブで活躍しました。恵まれた体格から守備的なプレイスタイルをイメージさせるVerónですが、最大の長所はボールを持ったときのテクニカルなプレイで、状況に合わせて自ら得点を奪うこともできる選手でした。
PATRICK VIEIRA
力強く粘り強いスタイルのPatrick Vieiraほど、中盤を制圧した選手はほとんどいません。Vieiraはそのフィジカル、運動能力、テクニックにより、現代のミッドフィルダーとして屈指の選手とみなされています。
ZINEDINE ZIDANE
ワールドクラスのスキルと、いとも簡単に難しいプレイをこなすテクニックを兼ね備えていたZinedine Zidaneは、史上最高の選手の1人です。1998 FIFA World Cup™決勝で決めた2ゴールや、2002 UEFA Champions League決勝で決めた豪快なボレーに代表される大舞台での活躍によって、Zidaneはフランスとレアル・マドリードの両方でレジェンドの地位を築いています。
ディフェンダー
FRANCO BARESI
世界的名声を得たディフェンダーのBaresiは、生涯1クラブを貫き、ミランの守備の要としてプロキャリアを全うしました。その不屈の精神と類まれな守備能力によって、20年間にわたって第一線でプレイを続け、リーグやUEFA Champions Leagueを何度も制覇し、1982年にはイタリア代表としてWorld Cup™優勝を果たしました。
LAURENT BLANC
このフランスの大型ディフェンダーは、キャリアを通してプレイした数々のクラブで鉄壁のディフェンスを築き、1998 World Cup™ではフランス代表の一員として優勝に貢献しました。そのワールドクラスの守備能力とリーダーシップは、サッカー界最高峰の舞台でも突出していました。
CAFU
ブラジルとヨーロッパの強豪クラブで中心選手として活躍したCafuは、その右サイドで披露した攻撃的なサッカーで伝説となり、チームを勝利へと導きました。ブラジルでプレイした4シーズンでは、11もの国内タイトルを獲得しました。ラ・リーガで活躍した後、2003-2004シーズンからはACミランに移籍し、そこでセリエAのタイトルを獲得したほか、かの有名な2006-07シーズンのUEFA Champions Leagueを制覇してみせます。そして、MaldiniやCostacurtaとともに恐るべきバックラインを形成しました。Cafuは、142試合というセレソンの歴代最多出場記録を保持しており、FIFA World Cup™の決勝に3回も出場した唯一の選手です。そして1994年と2002年には優勝を果たしています。唯一無二のアイコンにふさわしい、唯一無二の名誉です。
SOL CAMPBELL
2003-04シーズンのプレミアリーグで無敗優勝を成し遂げた「インビンシブルズ」アーセナルの中心メンバーだったCampbellは、イングランドサッカー史上屈指の威厳と迫力を備えたセンターバックの1人です。
FABIO CANNAVARO
イタリア人センターバックのCannavaroは、1ページでは収まり切らないほど個人で賞を獲得したディフェンダーで、注目されやすい攻撃の選手よりも輝いた数少ないディフェンダーの一人です。2006年のWorld Cup™ではキャプテンとしてイタリア代表を初の優勝に導き、同年にバロンドールにも輝いています。1996年以降、この輝かしい賞を受賞したディフェンダーは彼一人だけです。
CARLOS ALBERTO
Carlos Albertoはフルミネンセで頭角を現し、テクニックのあるディフェンダーとして活躍しました。そのボールスキルは、ディフェンスの能力と同じくらい高く評価されています。フルミネンセに加入した3年後にサントスに移籍。そして1970年にはキャプテンとしてブラジルを率いて、FIFA World Cup™優勝を果たしました。決勝戦で決めた見事なゴールは、歴史に深く刻まれています。ブラジルで14年間プレイしたあと、Carlos Albertoはニューヨーク・コスモスに移籍してPeleと抜群の連携を見せます。在籍した4シーズンでクラブをリーグ制覇に導きました。
ASHLEY COLE
インビンシブルズの一員として無敗記録を樹立した後、Ashley Coleはチェルシーに移籍して輝かしいキャリアをさらに積み上げます。キャリア当初は攻撃的な選手でしたが、のちに献身的で戦術的な選手となりました。攻守にわたってチームに貢献できるColeは、イングランド代表として107試合に出場し、サイドバックとして歴代最多キャップ数を記録。歴代最高のサイドバックとしての地位を確立しました。
MARCEL DESAILLY
Desaillyはどのチームで出場しても、どのポジションで出場しても、揺らがぬ強く実直なスタイルで、常に守備の要であり続けました。身体能力と空中戦の強さや、正確無比かつ強烈なタックルで、主にセンターバックとしてキャリアの大半を過ごし、World Cup™のフランス大会でも守備的ミッドフィルダーとして存在感を放ち、優勝をつかみ取っています。このポジションにおいても、高いボール奪取能力でボールを奪い、ドリブルやパスで迅速かつ正確なカウンターアタックの起点になりました。
RIO FERDINAND
イングランド史上屈指のディフェンダーと考えられることが多いRio Ferdinandは、激しく強気なディフェンスと優雅なテクニック、正確なフィード能力を兼ね備えていました。Ferdinandはリーダーシップと優れた視野により、マンチェスター・ユナイテッドにたくさんのタイトルをもたらし、10年以上もイングランド代表の中心として活躍しました。
FERNANDO HIERRO
レアル・マドリードと栄光の時代を長く共有したHierroは、スペインの首都で輝かしいキャリアを送りました。手堅く実直なディフェンダーとして活躍したHierroですが、ミッドフィルダーとしても非凡な能力を示し、長いキャリアの中で計102ゴールを挙げています。
RONALD KOEMAN
Ronaldo Koemanは誰もが羨む得点記録を持つディフェンダーです。エールディヴィジのフローニンゲンでキャリアをスタートさせ、アヤックス、PSVと活躍の舞台を移しました。PSVでは51ゴールを記録し、3シーズン連続でリーグ優勝を果たした上に、ヨーロッパの大会制覇も果たしました。スペインではさらに素晴らしい偉業を成し遂げます。ラ・リーガのトロフィーを4シーズン連続で掲げ、自身2度目となるヨーロッパの大会制覇も果たしました。在籍した6シーズンで、毎シーズン二桁ゴールを記録しています。
PHILIPP LAHM
安定したパフォーマンスを披露するテクニカルなフットボーラー、Philipp Lahmの名前からはエクセレンスという言葉が連想されます。本職のサイドバックとして出場しようが、中盤を任されようが、戦術的なユーティリティと献身性、根性、華麗さを兼ね備えたLahmはお手本のようなプレイを披露しました。FIFA World Cup™やUEFA Champions Leagueをはじめとする様々なタイトルを20個以上獲得したLahmは、この先ずっと憧れを抱かれる選手であり続けるでしょう。
PAOLO MALDINI
5度のUEFA Champions League優勝を成し遂げ、その他多くのタイトルを獲得したMaldiniは、生涯ミランを貫き、同クラブで25シーズンを過ごしました。最終ラインならどこでもプレイできるMaldiniは、守備の職人として鉄壁の守りを見せました。
BOBBY MOORE
イングランドが唯一World Cup™を制した1966年にキャプテンを務めたMooreは、タフなタックルと生来のリーダーシップで、周囲の選手たちを鼓舞しました。代表の出場試合記録は破られたものの、Mooreは今でもイングランドサッカー史上屈指の人気を誇る、尊敬される選手です。
ALESSANDRO NESTA
この力強く威圧的なイタリアのディフェンダーは、20年以上のキャリアの中でUEFA Champions Leagueを2度、セリエAを3度制覇し、World Cup™優勝も果たしました。強烈なタックルだけでなく、センターバックとしては珍しい隙のない戦術的視野や、優雅なボールタッチを兼ね備えていました。
CARLES PUYOL
目の覚めるようなディフェンスと長いカーリーヘアは、キャリアを通してCarles Puyolのトレードマークでした。強気なディフェンダーとして、Puyolの闘志、決断力、リーダーシップは周囲の選手を鼓舞し、ライバルからの尊敬を勝ち取りました。Puyolは世界最高のトロフィーを勝ち取ったチームで、欠かせない中心選手となっていました。クラブでも代表でも大きな成功を収めたこのカタルーニャ出身選手は、この時代屈指のディフェンダーとしてサッカー史に名を刻むでしょう。
ROBERTO CARLOS
サッカー史上屈指の攻撃的左サイドバックとして、Roberto Carlosの突出した左足はクラブでも代表でも輝きました。このブラジル人の象徴的なフリーキックは、試合以上に彼を輝かせ、サッカー選手としてトップクラスの成功へと導きました。
NEMANJA VIDIĆ
Nemanja Vidićはプレミアリーグに挑戦するまでに時間を要しましたが、活躍の舞台を移してからすぐにリーグを代表する恐ろしいディフェンダーの一人になりました。相手を制する典型的なディフェンダーで、アタッカーの前に出るのが得意な選手でした。タフさと賢さ、戦術的なバランスを兼ね備え、あらゆるピンチをしのぎました。同じくアイコンのRio Ferdinandと伝説的なコンビを組み、Vidicはチームに大きく貢献。その輝かしいキャリアの中で、闘争心と確かなテクニックを武器に15を超えるタイトルを獲得しました。
GIANLUCA ZAMBROTTA
偉大なサイドバックの一人、Gianluca Zambrottaはイタリアの堅い守備に欠かせない選手でした。優勝を果たした2006 FIFA World Cup™で許した失点はわずか2点です。大会を通して素晴らしい活躍を披露したZambrottaは、2006 FIFA World Cup™のオールスターチームに見事選出されることとなります。
JAVIER ZANETTI
キャリアを通してインテルのサイドを駆けあがった多才なディフェンダーで、トラクターというニックネームで呼ばれました。ミッドフィルダーとしてもわずかながら出場しており、クラブに求められる役割を確実に全うできる選手でした。このアルゼンチン人は攻守に優れ、完璧なクロスを送ったかと思えば、次の瞬間には強烈なタックルでボールを奪取します。リーダー、プロフェッショナルとして模範的な存在だったZannettiは、クラブと代表で長年キャプテンを務めました。受けたレッドカードは、22年のキャリアの中でわずか2枚だけでした。
ゴールキーパー
IKER CASILLAS
レアル・マドリードの偉大な歴史の中で最も成功したゴールキーパーである「聖イケル」は、フットボールの歴史にその名を刻みます。彼は、90-91シーズンにファンであったレアルのユースチームに加入し、その名を知らしめていきます。Casillasはマドリードの偉大なチームに欠かせない選手であり、攻撃陣の活躍に匹敵する素晴らしいセーブを披露し続けました。その後、Casillasはレアル・マドリードのキャプテンに就任し、「FIFA World Cupよりも大きい」偉業と本人が語るラ・デシマへとチームを導きました。その輝かしいキャリアを通じて、スペイン王者としてUEFA European Championshipsのトロフィーをさらに2度掲げています。マドリードで過ごした25年の間に、CasillasはUEFA Champions Leagueを3回、FIFA Club World Cupを3回、UEFA European Super Cupを2回、ラ・リーガを5回、コパ・デル・レイを2回、そしてスパニッシュ・スーパーカップを4回制覇しました。Iker Casillasは唯一無二の存在です。
PETR ČECH
Petr Čechは安定したパフォーマンスでゴールマウスを守り、チェルシーを4度のプレミアリーグ優勝、4度のFAカップ優勝、そして、悲願のUEFA Champions League優勝に導きました。集中力とリーダーシップを兼ね備えたČechは、魔法のかかったグローブで決定機を頻繁に阻止していました。プレミアリーグ史上最も多くのクリーンシートを達成している理由もうなずけます。
PETER SCHMEICHEL
ペナルティエリア内で圧倒的な存在感を見せたPeter Schmeichelは、サッカー史上でも屈指の偉大なゴールキーパーと考えられています。国際サッカー歴史統計連盟が選出した世界最高のゴールキーパーに2度選ばれたSchmeichelは、マンチェスター・ユナイテッドの象徴的な選手として尊敬を受けました。24のタイトルを手にし、11ゴールを決めた彼は、デンマーク史上最高のゴールキーパーとしての評価を得ています。
EDWIN VAN DER SAR
van der Sarは、現代サッカーにおいて比類なき存在感を放ったゴールキーパーで、キャリアを通して数多くのトロフィーと記録を積み上げました。完璧かつ多才なゴールキーパーだったこのオランダ人は、恵まれた体格と俊敏性といった伝統的能力に加え、高い足元の技術と鋭いパス能力を兼ね備えていました。
LEV YASHIN
史上最も偉大なゴールキーパーと評される選手です。「黒蜘蛛」の愛称で知られ、引退までディナモ・モスクワを代表する選手として20年間のキャリアを過ごしました。およそ270回のクリーンシートを記録し、150回のPKを止めた実績を持ちます。Yashinはゴールキーパーとしてバロンドールを獲得したことがある唯一の選手です。